40代男のうつ病ブログ

うつ病になり約10年。再発を繰り返すも生きる40代のブログ。

自立支援医療

こんにちは。

 

 

前回の記事の続きです。

 

病院を変えて、うつ病の症状は良くなっても

働くための「やる気」がなかなか湧いてきませんでした。

 

 

主治医にその旨を伝えると

 

「やる気が出てくるのは、(治療が進んで)最後の方ですよ。」

 

と言われました。

 

 

結局のところ、うつ病自体の症状が好転しなければ、

仕事に対するやる気なんてのは後回しになってしますのです。

 

 

 

ま、半分やる気がないながらも、ハローワークには通い、

求人をみたり、カウンセリングをしてもらったりしてました。

 

 

そこで、カウンセリングでいい情報を入手しました。

 

 

自立支援医療

 

 

というものです。

 

これは、精神障害うつ病統合失調症、不安障害、てんかんなど)により

通院による治療を続ける必要がある程度の状態の方を対象に

医療費の軽減がされるという、とても素晴らしい制度です。

(ただし入院の費用などには適用されず)

 

自立支援医療は、通常医療費は3割自己負担のところを1割ですむという

とても助かる制度です。

 

また1か月あたりの医療費負担の上限額も

世帯の収入の応じて上限が決まっており、

これも1か月の間によく通院される方には非常に助かるかと思います。

 

もし精神疾患をお持ちの方で、まだ自立支援医療を受けられていない方は

すぐにお住まいの市町村の福祉課?に問い合わせをして

申請に必要なもの(医師の診断書やマイナンバー確認書類他)を

そろえ、申請されたほうが絶対にいいです!!

 

  

 

だって、3割負担が1割負担ですよ?

 

つまり今まで医療費10000円で3割負担で3000円払っていたのが、

1000円になるわけです。

これは大きいと思いませんか?

 

浮いた2000円で遊ぶ生活費や食費に充てるだけでも

暮らしていく上で気持ちの面でも少しは楽になることでしょう。

 

この制度は今でも私は利用していますが、

本当に助かっています。

この制度がなければ1か月に通院する回数を

減らしていたかもしません。

 

とにかくおススメです。

 

 

というわけでだいぶ横道にそれましたが、

話を元に戻すと・・

結局「再就職・仕事へのやる気」が出ないまま、またまた時だけが

過ぎていきました。

 

 

 

つづく

 

病院変更

こんにちは。

 

前回の記事の続きです。

 

 

事務職を受け、予想通り?落ちた私でしたが、

今後に手ごたえを感じていたところでした。

 

 

しかし、2011年3月11日。

皆さんご存知のとおり、未曽有の大災害

 

東日本大震災

 

が起きました。

 

 

 

連日報道される、甚大な被害状況、原発への不安等々・・・

 

ネットやテレビで見ているうちに私の気も滅入ってしました。

 

 

 

「なんで被災していないオマエが滅入るんだよ!!!」

 

 

 

というツッコミがきそうですが、日本全土を包み込む不安な空気・雰囲気に

自分自身が飲まれ、またうつ病の状態もよくない傾向になりました。

 

 

今考えても、なんで被災していない自分の体調が悪くなったのか

不思議でしょうがないのですが、事実は事実です。

 

 

どうしようかと悩んだ結果、今まで通院していた実家近くの病院を

自宅近くの病院に変更することにしました。

 

 

実は実家近くの病院だと車で片道1時間、往復で2時間ほどかかり、

今まで通院負担が大きく、通院を休むこともしばしばありました。

 

なので、この際思い切って自宅近くの病院に変え、

通院の負担を減らし、休まず通院できるようにしました。

 

 

これがよかったのか、それとも変えた病院がよかったのか、

うつ病の状態は少しづつですが、良くなっていきました。

 

 しかしなかなかうまくいかないのが、うつ病の厄介なところ。

 

 

なぜか、体調が良くなっても、求職活動における大事な要素

 

 

「やる気」

 

 

がなかなか起きなかったのです。

 

つづく

うつ病発症後、初の企業面接

こんにちは。

 

 

前回の記事の続きです。


障害者手帳を取得したはいいものの、

なかなかいい企業にマッチングせず、

面接等の活動もないまま日々が過ぎていきました。

 

 

そうした中、たまたま見たチラシに

 

「1年間限定で事務職募集」

 

の文言が目につきました!

 

 

 

勤務時間や給与等の条件も悪くない!

 

早速応募しました。

ま、今考えると、1年間限定の雇用でよく受けたなと思いますが(苦笑)

とりあえずどこかに就職して自信を取り戻したかったのだと思います。

 

就職は面接のみ、会場に向かいました。

待機部屋には20代から50代の男性と思われる人まで

幅広い年齢層でした。

 

が、女性が圧倒的に多かった気がします。

 

 

私はその面接の日までに、あらゆるシミュレーションで

面接練習を行ってきたので、割と自信がありました。

  

 

 しかし!当日なにかキラキラしたオーラを感じさせる

20代前半と思われる女性がいました。

 

正直、私は「しまった!」と思いました。

 

もともと事務職自体女性が圧倒的に多いのに、

私のようなアラフォー(当時)の男など雇うよりも、

上記のような女性を雇った方が職場が華やかになるだろうと

客観的に思ったからです。

 

でも私は、私。

めげることなく面接では笑顔で悔いなく対応しました。

 

そして結果は・・・・・・

 

 

 

 

 

「不合格」

 

 

 

・・・やはり世の中そんなに甘くないものです。

 

 でも企業の面接を受けるまでうつ病の状態がよくなっていることは

いいことだという風にプラスにとらえて、次に進む気持ちが

 強くなってきました。

 

ところが、日本全土を揺るがす未曽有の大災害が起こるとは

この時は知るよしもありませんでした。

 

つづく

傷病手当金受給終了後、障害者手帳取得

こんにちは。

 

上記記事の続きです。

 

傷病手当は給与の2/3が毎月支給されるというもので、

普通に日常生活を送る分には不自由しない金額でした。

 

なので、無理にアルバイトなどはせず、受給期間中は

おとなしく休養していました。

 

しかし、傷病手当金も有限なので、あっという間に1年半が過ぎました。

その頃、家族に相談しました。周りは

 

「まだ、完全に治っていないのだから、無理に働く必要はないんじゃない?」

 

と言ってくれました。私自身もそう言ってくれるのを期待していたのか

ほっとした気分になりました。

 

 

 

しかし、収入がなくなる以上、貯蓄はもちろん減っていくわけで

うつ病の調子の波に苦しみながらも約2年が経過しました。

 

だいぶ調子がよい状態が続いてきた私は、ようやくハローワークにて

失業保険の手続き、および就職活動ができるくらいまでになりました。

 

 

しかし、そこで簡単にいかないのが、うつ病と就職活動。

 

ハローワークにて求人情報を見ていると前の職場のことを思い出し、

気分が悪くなったり、頭が痛くなったりして

とても順調とはいえない状態を繰り返すようになりました。

 

そこで利用したのが、ハローワークの障害者を対象としたカウンセリングです。

 

・就職したいけど、どうしたらよいかわからない。

・求職者の状態に応じた就職先の紹介

 

等々、私のような精神障害をもった者にはとても助かるものでした。

 

カウンセラーの方にはいろいろ病状について聞いてもらったり、

求人情報を見てあーでもないこーでもないといった話を聞いてくれるからです。

 

はたから見ると何の実りもないようにみえるかしれませんが、

私にとっては、うつの症状が軽くなるキッカケとなる場でありました。

 

あとカウンセラーの方に勧められたのが、

障害者専用の求人の募集を受けるのに障害者手帳を申請する

というものでした。

 

一般求人の就労だと、障害者の就労はなかなか困難が伴うものですが、

障害者専用の求人であれば、ある程度障害者に対して

一定の配慮をしてもらえるからです。

(中にはそうでない企業もありましたが・・・)

 

 

しかし、「障害者手帳の申請」というのは最初私には

とても抵抗があるものでした。

 

 

 

「私が障害者・・・!?」

 

 

 

障害者手帳を持つことで公に障害者だと認められる・・・。

 

うつ病と主治医から診断されて約3年あまり経つにもかかわらず、

どこかで、病気ではないと抗う自分がそこにいました。

 

 

それから何度も何度もカウンセラーに相談しました。

そして結論としては、

 

 

障害者手帳を持っていた方が、一般就労と障害者向け就労の

2つの窓口から幅広く選択できる!」

 

 

というメリットから障害者手帳を取得することにしました。

 

※注  障害者手帳の申請は、お住まいの各市町村のHPあるいは

電話でご確認の上、手続きください。

 

悩みましたが、障害者手帳を取得しました。

 

かといってすぐに就職できるかといったら

そんなに甘くないのがこの世の中。

 

ましてや障害者の就職だからなのか、低賃金は当たり前で、

残業は一般就労並の企業なんてザラでした。

 

こうして、マッチングする企業もないまま時だけが過ぎていきました。

 

つづく

 

退職へ、そして傷病手当金受給

こんにちは。

 

 

前回の記事で私がうつ病になった経緯を書きましたが、

 

今回はその後についてです。

 

 

うつ病になったことを両親を通して会社に知らせました。

なぜかというと病院の先生から

 

うつ病の原因は会社にある。会社の人間とコンタクトをとると

悪化するかもしれないから、直接連絡するのはやめなさい。」

 

と言われたからです。そして会社を2か月休職する運びとなりました。

 

しかし、私が直接連絡しないことに腹を立てたのか、

会社は必要以上に私と直接コンタクトを取ろうとしてきました。

 

もちろん私は先生の言う通り、会社から避け、

両親、病院の先生が盾となり私を守ってくれました。

 

ありがたいことです。

 

ところが休職して2か月過ぎようとしてきたある日、

病院の先生から連絡が入り、

 

「どうしても会社が君と連絡を取りたがっているようだから、

私はもう君を守り切れることができない。

一度会社と連絡してみてはどうかな?」

 

と言われたのです。

 

 

 

 

 

私は恐ろしくなりました。

 

いくら私が会社の命令に背いたとはいえ、

あらゆる怒号、罵倒をうけた会社とコンタクトをとるなど、

何を言われるかわからない!

さらにうつ病の症状が悪化する!!

 

そう思うと頭が痛くなり、全身がだるくなる感じになりました。

 

 

 

気が付くと実家の親に連絡を取っていました。

 

「どうすればいいかな・・・?もう具合悪くて何も考えられないよ・・・。」

 

 

 

すると、親は

 

「あなたのことが心配でたまらないから・・・

お願いだから、もう今の会社は辞めて・・・。」

 

そういわれた私は

会社を辞める決心がつきました。

 

どちらにしろ、復職したところで会社に私の居場所がないことは

想像に難くないからです。

 

そして、親を通じて「退職」の申し出をしてもらいました。

 

 

 

そうすると数日後・・・

 

傷病手当金

 

と退職の手続き等のお知らせがきました。

 

 

 

この「傷病手当金」とは・・・

 

健康保険の加入者が、業務外の病気やケガで働くことができない状態になったとき、給与の2/3の額を最長で1年6ヶ月受け取ることができる制度です。

 

この制度は主治医に病名等を記入してもらい、

加入している(していた)健康保険組合に申請し、受給されます。

 

 

しかし、傷病手当受給中は「失業保険」を受給できません。

 

なので、ご自分の管轄のハローワークにて

失業保険の受注期間の延長手続きをする必要があります。

 

 

 

とまあ、ちょっと横道にそれましたが、

病気で失業状態なら、手当金がもらえる!!

 

これは正直非常に助かる制度でした。

 

 

しかし、今考えると1年半も傷病手当金をもらうことで

働く気がそがれていたのではないかと思いました。

 

とはいえ、あの時無理やり働いても・・・とも思い、

振り返ってもなんとも複雑な思いです。

 

 

結局私のうつ病の症状はいろいろ波がありながら

傷病手当金がもらえる1年半があっという間に過ぎていきました。

 

 

つづく

うつ病発症

こんにちは。

 

今日は私が最初にうつ病になった経緯を簡単に紹介したいと思います。

 

 

あれは2007年5月でした。

 

当時私はシステムエンジニア、いわゆるIT業界の会社に勤めていました。

 その会社は自社で開発するわけでもなく、請負(ほぼ派遣)で働いていたのですが、

 ある日同じプロジェクトの尊敬するAセンパイからこんな噂を聞きました。

 

 

「Zプロジェクトが火を噴いてるらしい。そこに派遣された人は

土日はおろか、毎日徹夜に近い状態で働いてるらしいぜ。

そんなとこ行きたくねえよな。」

 

 

私はそんなプロジェクトに派遣されるなんて

冗談じゃないと思いながら

 

「ほんとにそうですね。」

 

と怯えながらAセンパイに言いました。

 

 

 

それから数日後・・・

なんとその尊敬するAセンパイから

 

 

「人手が足りないから、Zプロジェクトに行ってくれ。」

 

 

と言われました。私は一瞬何のことだかわかりませんでした。

 

あれだけZプロジェクトのことを悪く言って

私を怯えさせておきながら

(ま、Aセンパイはそのつもりはなかったかもしれませんが)

いきなり、行ってこいと!?

 

 

自分はしばらく時間をもらった後、Aセンパイに

 

 

「私には無理です。Zプロジェクトには行きません。」

 

 

 

と返答しました。するとセンパイは

 

 

「今後の(昇進)査定に響くけど、それでもいいか?」

 

 

と言われましたが。私は迷わず

 

 

「はい。」

 

 

と答えました。

 

 

 

 

すると、2、3日経たないうちにその事を

 Aセンパイから聞いたのか、聞きつけたのかわかりませんが、

 直属の上司でもないB所長から個室の部屋に呼び出されました。

 

 

そのときのことはあまり思い出したくないのですが、

 今でいうパワハラというやつです。当時はその言葉自体存在しませんでした。

 

 

 

「オレはオマエに直属の上司でないが、社会のセンパイとして忠告しておく」

 

「オマエは仕事を選べる立場か!!!」

 

「オマエは他の奴よりも全然頑張っていない!!!」

 

「オマエは俺みたいに営業して仕事取ってこれるか!?これないだろうが!!!」

 

 

 

 

他、あらゆる激しい怒号が私に浴びせられました。

(ま、パワハラではないというご意見もあるかもしれませんが・・・)

 

 

確かに上司のいうことはほぼ正論で、

私は、会社と雇用契約を結んでいる以上、

会社からの命令に背くことがどういうことか

もちろん理解していました。

 

 

しかし私は過去にZプロジェクトを似たような仕事をして

入院した経緯があり、どうしても無理だったのです。

 

 

 

B所長から1時間ほど怒号を浴びせられた私はその後、

なんだか頭がぼーっとなり、体がフラフラした状態になりました。

 

そうして定時になり、帰る準備をしていたころ足元がふらついて

会社内で倒れそうになりましたが、なんとか座り込みこらえました。

 

 

そして帰る途中、行きかう車に無意識でツッコみそうになったり、

電車にツッコんだりしそうになりながら

(もうこの時点でやばい)

家路につきました。

 

 

そうすると今度は、無意識のうちに家にある包丁で自分を刺す等

自殺観念が頭から離れず、これは生命の危機だと感じ、

実家に連絡し、とりあえず実家に帰り、翌日緊急で心療内科に行きました。

 

 

診断結果は・・・

 

 

 

 

うつ病

 

 

 

 

でした。

 

 

うつ病のことはもちろんしていましたが、まさか自分がなるとは・・・

 

絶望感でいっぱいになりました。

 

 

 

 

そしてこの時、うつ病が10年以上も続くとは思いもよりませんでした。

 

 

簡単にと言いながらも、長文になりすみません。

 

 

読んでくださった方、ありがとうございます。

 

 

 

つづく

はじめまして

はじめまして。

 

Pleasure2001と申します。

 

早速ですが、自己紹介をしたいと思います。

現在無職、うつ病双極性障害)を患っている40代の男です。

 

 

うつ病は30代の頃から発症しているので

かれこれ10年以上、闘病生活を送っています。

 

 

なーんて書くと、約10年間ずっとうつ状態と思われるかもしれませんが、

実際は、

 

 

発症→ほぼ寛解→再発→ほぼ寛解→再発・・・・

 

 

の繰り返しでした。

 

 

そして1年程前にまたうつ病が再発し、仕事を辞めました。

 

 

ちなみにその時の仕事は、商品の梱包や簡単な軽作業などを主とする

就労支援A型事業所に勤務していました。

 

 

え?就労支援A型事業所って何かですって?

 

 

就労継続支援A型とは
障害者総合支援法(旧 障害者自立支援法)に定められた就労支援事業の一つ。

一般企業への就職が困難な障がい者に就労機会を提供するとともに、生産活動を通じて、その知識と能力の向上に必要な訓練などの障がい福祉サービスを供給することを目的としています。

障がい者雇用契約を結び、原則として最低賃金を保障するしくみの"雇用型"の障がい福祉サービスです。

 

 

だそうです。

 

ま、要するに障害者(身体や精神も含む)向けに雇用契約を結び、一般就労を目指し

訓練や能力の向上の場を提供する福祉サービスです。

(ただしサービスの利用には世帯の収入に応じて有料となる場合があります。)

 

という説明でいいのかな(笑)←コラ!

 

 

とまあこんなカンジで簡単な自己紹介をしました。

 

 

今後は、うつ病の自分が生活していくなかで起こったこと、

これからどのように立ち振るまえばいい事などを

ブログに残していけたらと思っています。

 

よろしくお願いしますm(_ _)m